反日問題に思う

 2006年1月1日付け朝日新聞社説の題名がいきなり“武士道をどう生かす”でビックリ仰天。
 内容を見てみると前回随筆「国家の品格」を読んでで紹介した藤原正彦氏の『国家の品格』から取ったらしい。

 藤原氏は欧米流の論理だけでは世界が破綻すると言い、論理以前に人間にとっての座標軸、即ち、行動基準、判断基準となる精神の形、すなわち道徳が必要だという。この道徳、情緒を育む精神の形として「武士道精神」の復活が必要と言う。一方で藤原氏は、武士道に明確な定義は無いとも言う。新渡戸稲造の「武士道」、山本常朝の口述を筆記した「葉隠」もひとつの武士道である。そして、藤原氏は「大事なのは武士道の定義を明確にすることではなく、「武士道精神」を取り戻すことです。」と言う。ここに私は、引っかかった。

 最近、格闘物のテレビを良く見るが、良く武士道と言う言葉が出る。武士道も安っぽくなったもんだと思う。
 私は昔から平家の落人なんかに興味があって、僻地に憧れたり、南條範夫等の時代小説を読んだりしたが、私のイメージする武士道は、奇麗事を言う武士道とは違う。

 私がイメージする武士道、戦う武士の道は、端的に言えば、『自分の領地と家族と名を守るためには、何でもやる』のが、武士であり、彼等はそれをやってきた。新渡戸稲造の「武士道」、山本常朝の「葉隠」は、言い方を変えれば、武士を体制順応させるための公務員武士道ではなかったのか。だから、江戸以前の武士は、寝返り、毒殺、謀略何でもありで戦う。中学の国語の教科書だったかに載っていた平家物語の宇治川の先陣。自分が先陣を執るためには、見方に嘘をついてでもやる。宮本武蔵も残っている話がどこまで本当かは知らないが、時間に遅れたり、不意打ちを食らわせたり、何でもありで戦う。その時代に公務員武士道のような精神が全く無かったとは、言わないが、奇麗事を言っている余裕は無かったであろう。

 では、江戸時代に武士道精神がどれ位存在していたのか。神坂次郎著「元禄御畳奉行の日記」中公文庫。これは記録マニア朝日文左衛門の27年間におよぶ日記「鸚鵡籠中記」を解説したものだが、実際の中堅武士が何をやって、何を考えていたかが分る。結論から言うと、酒と芝居見物に溺れ、仕事で上方に出張しても連日、商人の接待漬け。赤穂浪士たちの吉良邸討ち入りの情報を得てもほとんど無関心。武士の命と言われる刀にしても「・・・・伊勢町辻にて猿若を見て空に成り、脇差を盗まる。但し鞘は残る」と言う状態。また、藩主である尾張徳川4代藩主吉通の生母、本寿院が町人や役者を連れ込んで、セックスし放題だったことを記している。「本寿院様貪淫絶倫。或いは寺へ行きて御宿し、又は昼夜あやつり狂言にて諸町人役者等入込み、其の内御気に入れば誰によらず召して淫戯す。」結局、本寿院の淫行は幕閣の耳に入り、蟄居を命じられるのであるが、尾張徳川家でこの状態なのである。

 話が逸れたが、私が武士道を日本再生に持ち出すのを少し躊躇っているのは、上記のように武士道の定義が明確でないことと、公務員武士道にしても本当にそんなものが、その当時存在していたのか、と言うことである。例えば、菅野覚明著「武士道の逆襲」講談社現代新書を読んでも今一ぴんと来ない。

 朝日社説では、「品格を競いたい」として、子供のけんかをやめて、大国らしい品格を競い合うぐらいの関係に(中国、韓国を)持ち込むことが、アジア戦略を描くときに欠かせない視点だという。その前段では、靖国神社が軍指導部までたたえて祀り、首相が参拝し続けることが、武士道の「いつでも失わぬ他者への哀れみの心」すなわち、「仁」であり、「武士の情」に反するとしている。

 年末に中国の反日デモの映像を見た。「日本は虫けら」のようなことを書いたプラカードもあった。それを見て、私は中国なんか、ぶっ潰してしまえと短時間ではあるが、激情に駆られた。しかし、彼等は愛国者である。日本人は確かに中国人に対して虐殺や女子供までいたぶるような残虐なことをしている。石原慎太郎のように南京大虐殺は無かったんだ、とか訳の分からないことを言う奴がいるからおかしくなる。日本が早く正式に謝罪しなかったから、また、石原や一部国会議員のように侵略を否定したり、チャチャを出すから日本はちゃんと謝罪をしていないことになる。中国の言いなりになって靖国参拝を辞めたら、次から次に中国から無理難題を吹っかけられると言うような事を言う奴が国会議員にもいるが、それは違うだろう。

 靖国は国民を挑発先導するための道具であったのだから、戦後、直ちに閉鎖させるべきであった。私は、戦犯を祀っているから靖国参拝を辞めるべきだとは思わない。国民を戦争に駆り立てた道具であった靖国神社が残っている事自体が問題であり、更にそこに参拝するようなことは、戦争を全く反省していないのと同じであると思う。

 中韓と戦後60年たってもこの問題が解決していない以上、この問題の解決は殆ど困難であると思う。なぜなら、既に当事者達の世代から次世代、次次世代の問題になったからである。今後、中韓の経済力もどんどん伸び、少なくとも中国は日本の数倍のGDPまでは伸びるだろう。その時、正々堂々と言うべきことを言える日本でなければならない。経済力は落ちても尊敬される日本でなければならない。それを武士道に求めるのか。

 菅野覚明著「武士道の逆襲」のなかに武士の生き様として「覚悟の問題」を取り上げている。要約して葉隠の『只今がその時、その時が只今』と言う言葉を挙げているが、言い換えると『どんなときでも即座に自己の存亡を懸けて立ち向かうという姿勢』だと言う。聞くと格好良いが、一歩間違うと特攻精神の再現みたいで、日本人には危ない思想であると思う。元々、白人はねちっこく、諦めることを知らない。だから、ペリーが日本に来るとき一つをとっても事前にじっくりと日本人の事を研究して、日本に開国させるための手法を充分に研究してから来ている。その辺の長期的展望や粘り強さが日本人には乏しいと思う。いつの間にか、千兆円もの借金大国にしたのも、国民性が影響しているかもしれない。

 どちらにしても、藤原氏や朝日新聞が言う様に武士道精神によって日本人が中韓との問題を解決していくのは無理だろう。寧ろ、藤原氏の言うようにエリートによる政治を目指したほうが良いのかもしれない。現在の政治家の中にどれ位、長期的視点と幅広い知見を持って活動している人間がいるであろうか。ふらふら、政治家の言いなりになる馬鹿国民。即ち、小泉が海外派兵、憲法改正を声高に叫べば、後から追認する国民である。小泉が靖国参拝して、ここで中国の言うことを聞けば、次から次へと無理を聞かざるを得なくなるという、言い分を信じてしまう単純馬鹿国民である。

 エリート養成機関として藤原氏は昔の旧制中学、旧制高校等を挙げていますが、現在の学制を単純に旧制に戻してもそのようなエリートはもう育たないでしょう。藤原氏の言うエリートに相当するのは、現在では天皇家位しかないのかもしれない。私は、天皇制には反対ですが、ひょっとすると天皇に日本を引っ張ってもらうしか他に道が無いのだったりして。

 どちらにしても、日本の将来にとって相当危険な分岐点に来ているような気がする。

(2006年1月1日記) 

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